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2006年04月23日

若宮丸漂流民 「レザーノフの露日辞典」

さーて、前回のあらましから一週間がたちました。
お忘れになった方は、もう一度前回の漂流民の記事を読んで、復習しておいてください。
今日は、ロシアに帰化した善六と、レザーノフ、露日辞典がキーワード。


若宮丸漂流民は、6名が病死、6名が改宗・帰化、4名が帰国ということになりました。
その帰国を許された4名を連れて、世界周航と日本に通商を求める目的のために、皇帝から「ロシア全権大使」として任命されたのが、ニコライ・レザーノフです。


その前に、時は少しさかのぼって、1792年
若宮丸が漂流する前の年です。
大黒屋光太夫ら3人の伊勢神昌丸漂流民を日本に送り届けると同時に、日本との通商を求めるため、アダム・ラクスマンという使節が、根室に来航しています。

幕府は、光太夫らの引取りには応じたものの、鎖国を理由に、通商の申し出は拒否。
代わりに、長崎への入港証を渡して決着を見せました。

そうです。
レザーノフは、この入港証を持って、長崎に向かいました。
そんなにまでしても、日本との貿易が、ロシアにとっての国益になったんでしょうね。
ま、結果は通商はまた拒否されるわけなんですが。

ちなみに、日本には食糧として魚や脂を輸出し、そのほかにも毛皮、せいうちや象牙、羅紗などを日本で加工する。その代わりに、米、銅、絹織物、銀、漆などを輸入する計画だったようです。


さてさて、そんな大役をまかされたレザーノフですが、やはり通商を迫るときに問題になるのが、「ことば」の壁。そこで、既にロシアに帰化して通訳となっていた、漂流民の一人、善六を乗船させるわけです。

そして、約1年2ヵ月の日本への航海の途中、レザーノフは幕府との交渉に備えて、日本語を善六から学び、「露日辞典」編纂しています。


しかし、最後の寄港地となったペトロパブロフスクで、善六は下船を命じられます。
レザーノフは、善六の能力を高く評価し、可愛がっていました。
それだけに、キリスト教を禁じる日本に、ロシア正教に改宗した日本人を通訳として同行することが、幕府を刺激するだけで、必ずしも良策ではないと考えたのです。善六だって、どうなるかわかりませんもんね。

日本を目の前にしながら、船を下りなければならなかった善六の気持ち。
彼だって、日本に帰りたくなかったわけじゃないと思うんです。日本を捨てたわけじゃない。
ただ、自分の生きる道として、ロシアを選んだ。
どんなにか、祖国の地を踏みたかったでしょう…。



さて、話を戻して。
この「露日辞典」が私の研究テーマなわけですよ。


この辞典は、1964年に、日本語学者オリガ・ペドロワ女史によってその存在を認められてはいたものの、女史の病気のため、全容が明らかにされることもなく、辞典の所在も不明になっていました。
しかし1994年、若宮丸の漂流を題材にラジオドキュメンタリーを制作中だった東北放送局のスタッフと、大島幹雄さんによって、ロシア科学アカデミー東洋学研究所で発見されました。


標準語がなかった当時、善六が教えた日本語というのは、石巻の方言だったわけです。
ということは、この辞典には、約200年前の石巻方言が記されているということで、方言学的に興味深い資料なんですね。


ワタクシ、琉球大学在学中は、言語学、それも方言学を専攻していました。
とても真面目な研究室でしたので、卒論のテーマも早めに設定しておかないと後が大変、4年で卒業できなくなっちゃうんです。(やっぱりできませんでしたが…。)


さーて、何をやろうかな…と考えていた矢先、当時仙台にいた母から電話がありました。


「東北放送局の木村さんがね、こういうラジオ番組を作ったんだって。でその後、この辞典について研究してくれる人いたらいいなぁ…なんておっしゃってたわよ。」って。

はい!はい!はい!やります、やります!!
と両手をあげて、飛びついた私。
研究室は「琉球方言学」が専攻だったのですが、先生からはOKが出ましたので、すぐに木村さんにお願いして、辞書のコピーを送っていただきました。


いやー、興奮しましたね。
だって歴史が、それもみんなが知らない歴史が、コピーとはいえ、自分の手元に入ってくるなんて。
ましてや発見者だったら、どんなに興奮するんだろ。


さて、この辞典ですが。
若宮丸漂流民 「レザーノフの露日辞典」

このように、左にロシア語表記、右にそれに値する日本語がロシア文字で表記されています。

ロシア文字はアルファベットのように単音文字(=母音と子音、それぞれが一つの文字)ですので、音節文字(母音と子音がくっついて一つの文字)である日本の仮名よりも生の発音を知るのに有利なんです。

ということは、200年以上前の石巻方言の語彙だけでなく、発音も詳しく解明ができるということです。


さらに面白いのは、レザーノフが「何を知りたかったか」ということ。
これは、幕府との交渉に使うための言葉や、日本の日常についてなど、普通の辞書とはまた一味違う、レザーノフの選んだ言葉が抜き出された辞書なんです。
辞書に歴史が含まれているというか。さらには、ストーリーまで。
そこが、普通の辞書と違うところなんですね。辞書を作っている二人が浮かび上がってくるんです。


言語学だけでなく、歴史的にも文化的にも面白いこの辞書にのせられた一つ一つの言葉を、これからじっくり研究していきたいと思います。
皆さんもぜひ、楽しみながら、200年前を想像しながら読んでください。

若宮丸漂流民 「レザーノフの露日辞典」

こんな文字の書き方まであるんですよ!すごいですよねー!
「を」は書きにくいか…。



参考文献:世界一周した漂流民 石巻若宮丸漂流民の会編著
       日本滞在日記 レザーノフ著 大島幹雄訳
       AEROFLOT機内誌 「AVRORA」 大島幹雄


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Posted by おりじん at 22:14│Comments(2)漂流民
この記事へのコメント
露日辞典に関しては、薩摩のゴンザ(とソウザ)が、1738年に世界で初めての露日辞典を編纂したという記述があり、ミュージカルになったり、確か「ゴンザの放浪記」という本も出されてた様な記憶がありますが、御存知でしょうか?
Posted by okano at 2009年05月15日 14:52
そうですね、ゴンザや光太夫は有名ですね。
善六の辞書は少し語彙数が少ないようですが、とても面白いものですよ。
Posted by おりじん at 2009年05月18日 18:41
 
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